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私の歴史観

 私は、中学生頃から司馬遼太郎の「竜馬がゆく」などを読んだりしていましたが、社会に出て給料をもらうようになると竜馬の資金はどこから出ていたのかという疑問に行き付き、長崎で竜馬を使っていたトーマス・グラバーはジャーディン・マセソン商会の長崎代理人として派遣されていて、このJM商会は中国との阿片戦争を仕組んだ阿片商社でしたが、横浜港の開港によって日本で最初の横浜支店を開設し、この横浜支店で最初の日本人支店長になったのが福井藩士の吉田健三で、この人物は支店長退職後に自由民権運動を支援しながら莫大な富を蓄えますが、その健三が養子に迎えたのが後の総理大臣になる「吉田茂」ということに気づきます。

 その吉田茂は、外務省でも異例なことに中国大陸に20年も赴任していましたが、JM商会はジャーディの姪のケズウィック家が継承していて、この人物が上海租界を牛耳ってイギリスMI-6のスパイマスターと呼ばれていた人物ですが、満州帝国の建国資金と関東軍は中国大陸の阿片資金で賄われ、現在の東北三省に膨大な社会インフラを投じた後に、日本の敗戦とともに朝鮮半島と満州に投じた社会インフラを放棄し、日本人捕虜はソ連や中国に抑留されて奴隷労働と洗脳を受けることになります。

 私は、戦争と戦争捕虜による社会インフラの整備というテーマで歴史を見返しましたが、すると、世界で最初の都市間戦争が行われたのが紀元前29世紀のシュメル都市のことで、シュメル文明は紀元前49世紀のエリドゥに突然出現した文明で、当時のシュメル人は「アヌンナキに金塊奴隷として創られた」と書き残していますが、シュメル神話では45万年前にニビル性から地球に来訪したアヌンナキが地球を植民星にし、15万年前に鉱山から金塊を採掘するための奴隷として人類を創造したと書かれています。

 そこで私は、シュメル文明の発展過程を地図で調べ始めましたが、紀元前35世紀に人々はフェニキアに移動していて、紀元前18世紀にはフェニキアから移動したギリシアが海洋国家に変身し、そこから再びフェニキアに拠点を移してイスラエルと紅海ルートを開発し、紀元前8世紀にはカルタゴ、マケドニア、ローマを建国していますから、世界の歴史は、アヌンナキたちの計画によって動かされていると感じるようになりました。

 このような視点で歴史を振り返るのが「私の歴史観」ですが、この視点の骨格となることは、アヌンナキと人類の時間軸が異なるということにありますので、その辺の内容を細かく書き綴ったものをPDFに整理して掲載する予定でおります。

主宰 麻倉 稜太郎 拝